白くなっていく

モレノ式ダイエットで炭水化物をぬいてたら、温泉で低血圧で倒れてしまった
立ちくらみは前からよくあったんだけど、ここまで酷いのは初めてでびっくり
お風呂からあがって上がり湯をして、脱衣所に出ようとしたら息苦しさと気持ち悪さに襲われて、ふらふらしてだんだん周りが白くなった
そして耳の閉塞感で音がきこえなくて
倒れそうな時はその場にしゃがみこむように!!と、貧血持ちの母が小学生の頃教えてくれたことを思い出して、裸でその場にしゃがみこんだ
今考えるとこれ完全にタイムリープしてきたターミネーター(笑)
朦朧とする中、声はでたから、「だれか、た、たすけて、」みたいに言ったと思う(たぶん)
そしたら職員の人とか、在中の看護師さんが来てくれて、体を冷やしてくれた
横になりながら、「ああ、みなさんすみません、、ありがとう」とか、「急変時の対応おそいなー(失礼)」なんてことをぼんやりした頭で考えていた

そのあとも空腹感もあり、ふらふらしながら買い物をして、さくらもちを食べた(炭水化物とったほうがいいかなと思って)
爽やかな塩気と甘さが最高に美味しかったーーー

モレノ式ダイエットを初めて4日目
体重は信じられないほど順調に落ちて
54.6kg→52.1kgへ
見た目的にもあきらかに変化がでてきている
おそるべし促進期
今日倒れたのはとくに、休日で朝飯を11時に食べて、昼を食べずに18時ごろプールからの温泉をはしごしたからだと思う

はあ

ダイエット、体に負担のないようにやろう
ほどほどに

月が大きい

夜が明るいなあ
今日いちにち、やることをやってたらあっという間にすんでしまった
結婚式のお祝いの準備はやはり、心からお祝いしたい気持ちがないとややきつい(ごめんなさい)

ここのところ、自分の行動をあとから考えて、よくなかったと勝手に反省することが続いてる
その場の行動に無神経になっている
でもね、それで謝ったりすると、相手は全然気にしてなくて、むしろ気を遣わせてしまったりするんだよね
なんだろう
自分の感覚に全く自信がない

大学時代、自分や他人の心に無神経になりたくなくて必死だった
自分が知らず知らずのうちに相手を傷つけていたことがあって、でもどうしたらそうならなくて済むのかわからなくて、自分を出さないのが当たり前になっていった
気にして、気にして、気にして
いま考えると息がつまるけど、いやな自分にならないためのわたしのやり方だった
あれからもう4年たって、いい意味で周りを気にしなくなった
きっと、自分が成長したわけではない
わたしを否定してくれるひとがいなくなって
受け入れてくれるひとが増えた
そんな周りの変化のおかげなんだろうと思う

当たり前に、周りを大切にできるようになろう
忙しいとか、余裕がないとか、そんなのは言い訳だ

1.13

今月に入って、亡くなった患者様が数名
最近、みんな泣いてる
人の死を目の当たりにすると、言いようのない衝撃がからだと心に走る
覚悟していないと、尚更
悲しみと、後悔と、行き場のない気持ちでいっぱいになってしまう

わたしが人の死を間近に感じたのは、実習生の時
療養型の病院で、寝たきりの患者さんばかり
その中で、徐々にレベル低下して、次の日には意識が無くなって
瞬きもせず、開眼して、呼吸だけしている状態の方を見た時、人は最期にはこうなってしまうのかという驚きと、いつ死が訪れるのだろうと怖くなったのを今でも覚えてる
そんな状態の方に自分がどうすることができるのだろうと思いながら、その時は、ただ突っ立って、バイザーがROMexをするのを眺めていることしかできなかった

いまだったら、きっとできることがある
家族の心のケアや、患者さんの体をきれいに保つこと、痛みや苦痛をとってあげること
どれも、先輩やこれまでの患者さんから教えてもらったことばかり
経験は自信に変わる
本気で関われば、必ずフィードバックが明確になってくる
それで正しいか、なぜそうなのか、常に考えること

2017年

いつの間にか年があけて、もう1月も半ばにはいりました。もうすぐ誕生日。田中さんに言われて、ああ、そういえばもうあと1週間か、なんて。毎日がものすごい速さで過ぎ去っていきます。最近は、先輩にかわいがってもらったり、後輩が慕ってくれたり、愛を感じる幸せな日々でした。あらためて、自分の被害妄想ぶりを実感して、もうすこしのびのびと生きよう、と。けど、そんなふうに生きてたら、またきっとすぐに悲しいことがあって、委縮するんだろうなと容易に想像がついてしまうあたり、自分は結局自分なんだなと感じました。なんだかんだ、これくらいが丁度いいのかもしれません。小さくなって、慎重に生きているのが、わたしにはあっているのかもしれません。そんなわたしが、わたしなのかもしれません。
みんな違ってみんないい、を目の当たりにして。そんな世界でいきているんだなあ。
愛知県の引越し先をきめました。新しい生活は楽しみだけど、ここを離れるのは、やっぱり、さみしい。みんなとのお別れが近づいています。

12.7

先月亡くなったターミナルの患者さんのふりかえりカンファレンスをしました

先輩にスライドを見てもらって
意見をたくさんいただけたおかげで、
混乱していたわたしの考えも整理してもらえて
病棟の方からも、いい言葉をいただけた

内容はよかったんじゃないかと
みんなから言ってもらえました

とにもかくにも
やっぱり先輩たちはすごい
アドバイスも、意見も、
わたしの考えをまとめてくれるコーチングも、

今回のカンファレンスは
病棟とリハのつながりをもっと強めること
考える機会をつくることに繋がればいいなと
思っていたけれど、
やりながら、わたし自身、たくさん学ぶことがあった

臨床のことだけでなく、
伝える力、教育についても
いい経験だった

またすぐに忘れてしまうから、メモしておかなくちゃ




今日はリハ科の忘年会もありました

先輩2名に
安田くんについていけば間違いない!といわれた
西尾さんもへんに安田くんを制約しないだろうね、と

清水先生と幸せは夫婦それぞれだよっていう話してたら、
わたしたちの幸せって何なんだろうと思ってしまった

絶えない虚無感
紛らわすことなんて簡単なんだけど
はやくこの生活が終わってほしい

会えないさみしさなのか
しっかり生活できない忙しさのせいなのか

11 15


11月8日 大切にしていた患者さんが亡くなった

ターミナルだったので、わかってはいたんだけど

最後、お家に外出してから、レベル低下するのがとても早かったな

幸い、家族はわたしたちのケアをとても喜んでくれて、感謝の言葉を何度も何度も伝えてくれた
ご本人の身体は、浮腫が強くて少し痛々しかったけど、拘縮もなく、口はしっかりと閉じれて、綺麗な状態に保てていた

外出したのは、亡くなる4日前
最後にお話できて、お口から食べれたのは、亡くなる1日前だった
浮腫は痛かったみたいだけど、苦しさや痛みは比較的少ない状態ですごしてもらえたんじゃないかと思う

最後の最後まで、関わらせてもらえて本当によかった
わたしのことは認識していてくれたかわからないけど
お部屋にいくといつも 手を握ってくれて
リハビリのあとは「ありがとう、わるいなあ」
と可愛い笑顔で伝えてくれた
お花が好きで、コスモスの花や、ほおづきを用意したら、目をきらきらさせて喜んでくれた
写真は、「恥ずかしい」とあんまりとりたくなかったみたいだったけど、家族への連絡ノートでご本人の様子を伝えるため、笑顔の瞬間をたくさん撮らせてもらった

寝たきりの中、リクライニング車椅子で何度も散歩した
最初はしぶるんだけど、毎回、帰ってきたときは喜んでくれていた

挑戦して、よかったことがたくさんある
毎日の訪室
リハビリでの離床
外出
家族への連絡ノート
家族との関わり
チームへの働きかけ
エンゼルケアへの参加

どれも、戸惑いがあったけど
支えてくれた先輩たちのおかげで、
一歩踏み込んでいけた

ご家族の心が少しでも穏やかだと嬉しい

1031

今日で10月が終わる。10月17日に風邪をひいて欠勤したんだけど、まだ咳が長引いてて、だいぶましかと思ったら、今日の夕方から喉に激痛が走るようになった。免疫がよわっているんだろうけど、こんなに長引いた風邪ははじめてでとまどってる。のどぬーるスプレーしてマスクして寝る。
勉強会の準備で22時まで仕事だったけど、鶯巣さんが可愛くて癒されて、帰り道のわたしは完全にずぼら自虐ババア。脱毛とかいろいろ放置しすぎてる、いや、いつまでも可愛くいたい気持ちはあるんだけど

昨日、広島にいってたんだけど、久しぶりにあって、変な照れのような、よそよそしさがあって
なんかなって感じだった
朝、身体かさねて、楽しかったし、嬉しかったけど、
やっぱり離れて別々なところにいると、お互いわからないところが増えてしまうんだろうか